こんにちは、麻田雅路(あさだ がろ)です。
今、この記事を読んでいるあなたは、もしかしたら「正解」が見つからなくて苦しんでいる最中かもしれません。
仕事、人間関係、将来の選択。どちらが正しいのか、どちらを選べば損をしないのか。
白か黒かをはっきりさせようとするほど、心は重く、身動きが取れなくなってしまいますよね。
かつての私もそうでした。
組織の論理に馴染めず、内定を辞退し、貯金ゼロで実家に転がり込んだあの頃。
私は「レールに乗るのが正解で、外れるのは敗北だ」という二元論の檻の中で、
自分を激しく責め続けていました。
この記事では、そんな「正負のドラマ」から抜け出し、心を軽やかにする視点の切り替え方をお伝えします。
読み終える頃には、あなたの目の前の景色が、少しだけ柔らかく色づいて見えるはずです。
「正しい・間違い」という壮大な遊びの終焉
「二元論」という言葉を意識し始めたあなたは、今、人生の大きな転換点に立っています。
私たちは長い間、この世界を「良い・悪い」「勝ち・負け」「上・下」という二つの極に分けて捉えてきました。
あえて自分を分離させ、対極にあるものを体験することで、激しい感情の波を味わう――。
それは例えるなら、スリル満点のジェットコースターに乗るような「深い眠り」のゲームだったのかもしれません。
私が内定を辞退したとき、頭の中にあったのは「自分を守るための英断か、それとも逃げか」という二極の争いでした。
親の期待に応えられない申し訳なさと、自分の尊厳を守りたいという願い。
その二つの間で揺れ動き、私はボロボロになりました。
でも、今ならわかります。
あの苦しみは、その「コントラストの激しい世界」をお腹いっぱい味わい尽くし、卒業するためのプロセスだったのだと。
あなたが今、二元論の息苦しさを感じているのなら、それはもう「戦いやジャッジの世界」を終えて、
より自由な視点へと還るゲートの前に立っている証拠なのです。
スクリーンを叩くのをやめ、映写機に目を向ける
二元論の中に囚われているとき、私たちはつい「外側」を変えようとしてしまいます。
「あいつが間違っている」「社会が変わるべきだ」と、目の前の現実(スクリーン)に向かって一生懸命に声を荒らげるのです。
しかし、現実はあなたの内側にある意識が映し出した影に過ぎません。
かつての私は、親や社会というスクリーンを叩いては「どうして分かってくれないんだ」と絶望していました。
けれど、本当に向き合うべきは、スクリーンを見つめていた私自身の「映写機(意識)」の方だったのです。
心地よくない感情や、誰かを裁きたい気持ちが湧いてきたとき。
それは、あなたが悪いわけでも、相手が間違っているわけでもありません。
ただ「二元論という古いドラマの周波数が、まだ自分の中に残っているよ」というサインに過ぎないのです。
「どちらが正しいか」を選ぶ必要はありません。その両方を静かに包み込む「中立(ニュートラル)」な場所に立ってみてください。
そこは、ジャッジのない、ただ穏やかな光が満ちている場所です。
身体の重みを光に変える、シンプルな智慧
もし今、あなたが何かに悩み、胸のあたりに重たい感覚があるのなら、
少しだけイメージの力を借りてみませんか。
自分の中にある「白黒つけたい」「納得いかない」という重たいエネルギーを、一つの大きなコンクリートの塊として、
体の外にゴロンと出してみる。それを想像の中で、宇宙の源(ソース)へとポーンと投げ入れてみてください。
源で浄化されたエネルギーは、目も眩むようなプラチナシルバーの光の粒子となって、再びあなたのもとへ降り注ぎます。
深く呼吸をしながら、その光が細胞の一つひとつに浸透していくのを感じてみてください。
私がどん底から再起できたのは、立派な戦略があったからではありません。
ただ「自分を責めるのをやめ、今のダメな自分も、理想の自分も、どちらも自分なんだ」と丸ごと受け入れ、
肩の力を抜いた瞬間に、新しい道が見えてきたのです。
あなたは、あなたのままで素晴らしい
人生には、白黒つけられないグレーゾーンがたくさんあります。
いえ、むしろ大切なことほど、言葉では割り切れない曖昧さの中に潜んでいるものです。
無理に答えを出そうとしなくて大丈夫です。あなたが今、ここに存在している。
それだけで、あなたはすでに「正解」の中にいます。
二元論のドラマを降りた先には、戦わなくても満たされる、驚くほど軽やかな世界が広がっています。
明日、目が覚めたとき。窓から差し込む光を見て「今日も生きていていいんだ」と、自分に許可を出してあげてくださいね。
あなたの人生は、これからもっと自由に、もっとあなたらしく輝き始めるのですから。